大判例

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最高裁判所第一小法廷 平成3年(行ツ)147号 判決 1992年11月16日

上告人

松沢力男

右訴訟代理人弁護士

宮永堯史

持田明広

被上告人

大阪市長

西尾正也

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人宮永堯史、同持田明広の上告理由について

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、原判決に所論の違法はない。右事実及び原審が適法に確定したその余の事実関係によれば、(1)本件において、大阪市が各町会に対して、地蔵像建立あるいは移設のため、市有地の無償使用を承認するなどした意図、目的は、市営住宅の建替事業を行うに当たり、地元の協力と理解を得て右事業の円滑な進行を図るとともに、地域住民の融和を促進するという何ら宗教的意義を帯びないものであった、(2) もともと本件のような寺院外に存する地蔵像に対する信仰は、仏教としての地蔵信仰が変質した庶民の民間信仰であったが、それが長年にわたり伝承された結果、その儀礼行事は地域住民の生活の中で習俗化し、このような地蔵像の帯有する宗教性は稀薄なものとなっている、(3) 本件各町会は、その区域に居住する者等によって構成されたいわゆる町内会組織であって、宗教的活動を目的とする団体ではなく、その本件各地蔵像の維持運営に関する行為も、宗教的色彩の稀薄な伝統的習俗的行事にとどまっている、というのである。右事実関係の下においては、大阪市が各町会に対して、地蔵像建立あるいは移設のため、市有地の無償使用を承認するなどした行為は、その目的及び効果にかんがみ、その宗教とのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし信教の自由の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとは認められず、憲法二〇条三項あるいは八九条の規定に違反するものではない。このことは、最高裁昭和四六年(行ツ)第六九号同五二年七月一三日大法廷判決(民集三一巻四号五三三頁)及び最高裁同五七年(オ)第九〇二号同六三年六月一日大法廷判決(民集四二巻五号二七七頁)の趣旨に徴して明らかであり、これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。所論違憲の主張は、原判決を正解せず又は独自の見解に立って原判決を非難するものにすぎず、また、所論引用の判例中最高裁同三六年(あ)第四八五号同三八年五月一五日大法廷判決(刑集一七巻四号三〇二頁)は、本件と事案を異にし適切でない。論旨は採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小野幹雄 裁判官大堀誠一 裁判官橋元四郎平 裁判官味村治 裁判官三好達)

上告代理人宮永堯史、同持田明広の上告理由

《目次》

第一点 大阪市が各町会に対して、地蔵像建立ないし移設のため、市有地の無償使用を承認した行為は、憲法二〇条三項、八九条に違反しないとした原判決には、憲法解釈の誤り及び判例違背がある。

第一 信教の自由および政教分離原則の重要性

一、はじめに

二、宗教の自由の意義

三、政教分離原則の意義

1、近代的憲法の根幹にかかわる重要な原則である

2、国家と宗教との相互利用の危険性

3、国家と宗教との相互利用による弊害

4、「理念としての政教分離」の成立

四、信教の自由と政教分離の関係

1、信教の自由と政教分離とはコインの表裏の関係にある

2、国家の特定宗教に対する援助と納税者の信教の自由

第二 日本国憲法の政教分離

一、日本国憲法における政教分離の理念の一層の重要性

二、日本国憲法の政教分離規定を厳格に解釈しなければならない歴史的条件

1、明治憲法下の政教関係をめぐる状況

2、日本国憲法の制定過程

3、日本国憲法の政教分離規定の意義

三、日本国憲法の政教分離規定を厳格に解釈しなければならない社会的・文化的条件

1、多重信仰(シンクレティズム)

2、国家と宗教とが結びつきやすい

3、宗教的多数者の非寛容な態度に苦しむ宗教的少数者の存在

Ⅰ 自治会が神社を、「公の宗教」とした実例

Ⅱ 自衛隊が護国神社を、「公の宗教」とした実例ほか

4、無自覚的信仰

5、まとめ

第三 日本国憲法の政教分離規定は「国家と宗教の分離」である

一、「国家と宗教の分離」と「国家と教会(宗教団体)の分離」か

二、原判決は「国家と教会(宗教団体)の分離」の立場に立つ

第四 地蔵信仰の「宗教」性は明白である

一、「宗教」を定義しない原判決は、客観性が担保されていない

二、「宗教」の定義

三、本件各地蔵像の宗教性

第五 「宗教」と「習俗」とは相反する概念ではない

一、原判決の立場

二、原判決の立場(一元論)は、津地鎮祭事件最高裁判決の立場に背馳する

三、原判決の宗教と習俗の区別の基準は不当である

1、原判決の宗教と習俗を区別する基準

2、原判決の基準は、最高裁判所の基準に背馳する

3、原判決の基準によれば、信教の自由の範囲が著しく狭くなる

4、原判決の基準によると、政教癒着が生ずる

四、原判決の立場にたっても、地蔵信仰は「習俗」とはいえない

第六 目的効果基準について

一、最高裁判所の目的効果基準について

1、緩やかなかかわり合いの基準

2、レモンテストとの相違点

3、最高裁判所の目的効果基準の危険性

二、政教分離規定に違反する行為の違憲審査基準は厳格にすべき

三、日本国憲法の政教分離原則の解釈として目的効果基準は不必要である

1、目的効果基準が生まれた背景

2、目的効果基準を採らなくても、社会生活に不合理な事態は生じない

四、目的効果基準の適用事例を限定すべき

五、目的効果基準を日本国憲法の政教分離規定にふさわしい基準として機能させるべき

1、明確性、客観性に欠ける目的効果基準

2、「公平性」よりも「不介入」のポリシーを重視すべき

3、レモンテストの厳格な基準を考慮すべきである

Ⅰ 過度のかかわり合いの要件の採用

Ⅱ 三要件を独立したものにすること

Ⅲ 主観的要件および社会通念の判断要素の排除

4、違憲性の推定

5、LRAテスト(より制限的でない他の選択しうる手段)の類推

第七 大阪市の行為は、憲法二〇条三項に違反する

一、原判決の結論は誤りである

二、本件事案の検討

三、目的効果基準を適用した場合の本件事案の検討

1、「目的」の要件

2、「効果」の要件

Ⅰ 一般的プログラムの一環

Ⅱ 世俗的機能の分離可能性

Ⅲ 世俗性の確保

Ⅳ 結論

3、「過度のかかわり合い」の要件

Ⅰ 便益を受ける団体の性格と目的

Ⅱ 与えられる利益・援助の性質

Ⅲ 結果として生ずる国と宗教(団体)との関係

Ⅳ LRAテストの類推

4、結論

第八 大阪市の行為は、憲法八九条に違反する

一、憲法八九条の「宗教上の組織若しくは団体」の意義

1、学説の状況

2、学説の検討

3、原判決の立場

4、結論

第九 まとめ

第二点 原判決はその事実認定の過程において重大な経験則の違背があり、これが判決に影響を及ぼすことが、極めて明白であるので、原判決は破棄されるべきである

一 地蔵は教義教典を有し、かつ布教活動がなされている

1 地蔵の教義教典について

① 宗教学者村上証言

② 仏教学者信楽証言

③ 「庶民のほとけ」

④ 「おじぞうさんのお経―地蔵菩薩本願経―講話」

2 地蔵の布教活動について

二 寺院外にある地蔵について

1 浄土真宗僧侶小林証言

2 仏教学者信楽証言

3 宗教学者村上証言

4 文献上から見た寺院外の地蔵の性格

① 暮らしのなかの仏教

② 仏像心とかたち

③ 庶民のほとけ

④ 地蔵さま入門

⑤ 地蔵信仰(速見著)

⑥ 地蔵信仰(桜井著)

5 各地の寺院外の地蔵像についての新聞記事

① 大阪府池田市石橋商店街の地蔵

② 宝塚市阪急逆瀬川駅前の地蔵

③ 神戸市北区の焼餅地蔵

④ コロンビア愛の地蔵

⑤ 大阪市西成区内の地蔵

⑥ 神戸市のメリケン地蔵

⑦ 神戸市ポートアイランドの一番地蔵といかり地蔵

⑧ 子安地蔵

⑨ 神戸市長田区の地蔵

⑩ 水子地蔵の販売広告

⑪ 地蔵・石仏を彫刻している人

⑫ 大阪市西成区内の地蔵

⑬ 同右

⑭ 滋賀県甲西町の閻魔石

⑮ 京都の寺が地蔵貸出禁止

⑯ 四條畷市の耳なし地蔵

⑰ 滋賀県西浅井町の塩かけ地蔵

⑱ 京都和束町の子安地蔵

⑲ 返り地蔵

⑳ 大阪市北区の地蔵

三 通りすがりの人々による礼拝について

1 浄土真宗僧侶小林証言

2 総合仏教大辞典

四 地蔵盆について

1 昭和五八年からの満願地蔵での僧侶による読経の中止について

2 詠歌の合唱について

3 地蔵盆の意義と機能について

① 宗教学者村上証言

② 「庶民のほとけ」

第一点第一 <省略>

第二<省略>

第三 日本国憲法の政教分離規定は「国家と宗教の分離」である

一 「国家と宗教の分離」と「国家と教会(宗教団体)の分離」か

日本国憲法の政教分離の意義については、かつて、「国家と宗教の分離」即ち、国家が宗教一般に対し完全に中立的立場をとることを目指したものと捉えるのか、「国家と教会(宗教団体)の分離」即ち、国家が単に特定の宗教団体(仏教、神社神道、教派神道、キリスト教、回教等)に対してのみ完全に中立的立場をとることを目指したものと捉えるのかについて争われたことがある。

津地鎮祭事件控訴審において、被控訴人(市側)は、「国家と教会(宗教団体)の分離」の立場を強く主張したが、名古屋高裁は、「憲法は国家と宗教との明確な分離を意図し、国家の非宗教性を宣明したのである」と判示し、被控訴人の見解は到底採用できないと明確に否定した。また、同事件上告審においても、最高裁は、日本国憲法の政教分離は「国家と教会(宗教団体)の分離」であるとの上告理由に対して、「憲法は、政教分離規定を設けるにあたり、国家と宗教との完全な分離を理想とし、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたもの、と解すべきである」と判示して、「国家と宗教の分離」の立場を採用することを明確にしたのである。

学説上も、日本国憲法は「国家と宗教の分離」を意図したものと解するのが通説である。

信教の自由の保障を完全なものにするためには、国家と宗教とを絶縁させる必要がある。すなわち、国家がすべての宗教に対して中立的な立場に立ち、宗教をまったくの『わたくしごと』にする必要がある。これが国家の非宗教性又は政教分離と呼ばれる原理である。《中略》日本国憲法は、明治憲法の政教一致主義の下で信教の自由が全く否定されていたことにかえりみ、かような国家の非宗教性または政教分離の原則を採用することにした(宮沢俊義「憲法Ⅱ新版)

国家は、特定のあるいは全ての宗教と関わることによって、特定の宗教を優遇し、あるいは全ての宗教を無宗教に対して優遇してはならず、国家と宗教との間に分離の壁が築かれているもの(マディソン)とする(高柳信一「別冊法学セミナー基本法コンメンタール」)

また、アメリカにおいても、「国家と教会の分離」という用語が用いられることもあるが、実際には、政教分離は、「国家と宗教の分離」と解するのが通説である。瀧澤信彦教授は、次のように国教条項について解説される。

国教条項は全ての宗派、宗教に対する平等な支援をも禁止するものであるとの解釈を確認し、同条項が多数派の宗教を支援することになる政府の行為を禁止するものであることを宣明した。かくして、修正一条の宗教条項の目的は、宗教に対するあらゆる形態の公の援助と支持を包括的に禁止し、多数派の危険を予め排除し、少数者を生ぜしめないことにある、との分離ないし中立の原則が明示された(瀧澤信彦「国家と宗教の分離」)

以上述べたところから明らかなように、この問題はすでに決着がついているといえるが、もう一度ここで確認しておくと、日本国憲法の政教分離は、「国家と宗教の分離」であり、国家と既成宗教、宗教団体、組織的な宗教との分離のみならず、非組織的な宗教、民間宗教との厳格な分離も意図していると解すべきである。「国家と教会(宗教団体)の分離」説のように、国家との分離されるべき「宗教」の範囲を狭く解釈することは、極めて危険であり失当である。けだし、国家が宗教と結び付き、さらにはこれを利用しようとする時は、自分たちの宗教的好みを全体の「常識」「伝統」といった地位に引き上げるため、「文化的伝統」、「伝統的習俗」、「社会的習俗」、「社会的儀礼」、「国民道徳」等といった非宗教的な大義名分をもってこようとするのが常である。このことは、かつてわが国においても、「神社非宗教論」を根拠に国家神道体制が確立され、国家が宗教と結びついて国民の信教の自由を侵害してきた苦い歴史を思い起こせば明らかである。したがって、このような過去の反省の上に立って成立した日本国憲法の政教分離規定の解釈にあたっては、かつての「宗教の倫理的変装」の出現を再び許すような解釈は断じて採るべきではない。してみれば、「政教分離」にいう場合の「宗教」を狭く解して、「非宗教」の範囲を拡大かつ曖昧化し、国家と宗教とのかかわり合いを鷹揚に許していくことは、再び「神社非宗教論」を生み出す土壌を与えることにもなりかねず、日本国憲法の政教分離規定の解釈としては到底採りえないものと言わなければならない。

二 原判決は、「国家と教会(宗教団体)の分離」の立場に立つ

原判決は、まず、「憲法二〇条により禁止される宗教的活動とは………当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである(最高裁判所昭和五二年七月一三日判決)」(一審判決三八頁表二~一〇行目、傍線引用者)と判示して、一応建前上は、最高裁判所の「国家と宗教の分離論」の立場にたつことを宣言する。

しかしながら、原判決は、被上告人の行為が憲法二〇条三項の「宗教的活動」に該当するか否かについての判断箇所で、次のように判示しており(傍線引用者)、実際には「国家と教会(宗教団体)の分離論」の立場にたっている。

「地蔵信仰は………地蔵菩薩に関する仏教教理が変質化し、庶民の素朴な信仰として、現世利益、功徳本位の信仰として発展してきた側面がある。特に寺院外にある地蔵像は、一般庶民の間で仏教宗団その他の宗教組織とは無関係に設置され、………仏教としての宗教性も稀薄化してきた」(原判決一七枚目裏九行目、一審判決三八枚目裏一三行目~三九枚目表一一行目)

「ここで言うのは、道端や野に安置されている石地蔵が全国至るところに存在する寺院外地蔵像の帯有する宗教性をどう捉えるかという問題であり、それは、当該の地蔵像について、それが地蔵菩薩に関する仏教上の教義・教典や仏教の宗教組織あるいは布教活動や祭祀とどのように、あるいはどの程度に関連しているかという問題」(原判決一八枚目裏一二行目~一九枚目表六行目)

「本件各地蔵とも、教義、教典化されたものではなく、日常礼拝する人がいるものの、その礼拝は、土俗的民間信仰の対象としての地蔵像に対して習俗的に手を合わしている」(原判決二〇枚目七~九行目、一審判決三九枚目裏五~八行目)

「本件地蔵像は、………元来の仏教教理が変質化されて庶民の間に広く流布した土俗的民間信仰としての現世利益、功徳本位の地蔵信仰を具現するものであって、かかる古来からの民間信仰に基づく行為は、現在の日本人にとっては伝統的習俗と化して仏教としての宗教性は稀薄化している」(原判決二〇枚目表九~一一行目、一審判決四〇枚目表一~四行目)

「本件各地蔵像に宗教的効果があるというためには、本件各地蔵自体の規模及び位置によって仏教等の特定の宗教の援助・助長・促進になり、あるいは他の宗教に圧迫・干渉を加えるものであるという事実がなければならない」(原判決二〇枚目裏七~一一行目)

「本件町会等が、宗教性が稀薄となり、伝統的習俗と化した本件各地蔵像を建立、移設し、これを維持、運営していることは何んら仏教その他特定の宗教を援助、助長、促進しているものではなく」(一審判決四二枚目裏七~一〇行目)

「大阪市が各町会に本件各地蔵像の敷地として市有地たる本件各土地を無償貸与した行為は………その結果において仏教等特定の宗教を援助、助長、促進し、又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるような効果を生ぜしめているものとは認められない」(原判決二二枚目裏一二行目~二三枚目七行目、一審判決四三枚目八行目)

以上述べたところから明らかように、最高裁判所の目的効果基準は、「その効果が宗教に対する援助、助長、促進」していないかを問題にしているのに対し、原判決のそれは、「仏教等特定の宗教を援助、助長、促進」していないかを問題にしており、両者の立場は明らかに異なっている。もう少し具体的に言えば、原判決は、本件地蔵像が「民間信仰」の対象となっている事実は認定しながら、その「宗教性」の判断および目的効果基準の適用に際しては、「仏教としての宗教性」のみを問題にし「民間信仰としての宗教性」については全く問題としていない。しかし、これは、日本国憲法の政教分離は「国家と宗教の分離」であり、国家と既成宗教、宗教団体、組織的な宗教との分離のみならず、非組織的な宗教、民間宗教との分離も意図している、と解するのが通説・判例の立場と背馳するのは明白である。もし、原判決が最高裁判所の立場に立とうとするなら、本件地蔵像の「宗教性」の判断および目的効果基準の適用に際しては、その「仏教としての宗教性」が仮に稀薄化しているとしても(上告人らは、この点についても稀薄化していないと考えるが)、「民間信仰としての宗教性」についても当然に問題とすべきである。

以上のように、原判決には、憲法二〇条三項の解釈の誤り、及び、判例違背がある。

第四<省略>

第五<省略>

第六<省略>

第七 大阪市の行為は、憲法二〇条三項に違反する

一 原判決の結論は誤りである

原判決は、憲法二〇条三項違反か否かの結論部分において、次のように判示する。

「大阪市が各町会に本件各地蔵像の敷地として市有地たる本件土地を無償貸与した行為は、その直接の目的は、各町会を中心とする地域のコミュニティを促進するというそれ自体としては非宗教的なものでありながら、その手段として本件各地蔵像が設置されることにより宗教とのかかわり合いをもつに至ったものではあるが、その結果において仏教等特定の宗教を援助、助長、促進し、又は他の宗教に圧迫、干渉を加える様な効果を生ぜしめているものとは認められないのであるから、前判示の我国における一般的宗教観念や地蔵信仰の習俗化に関する現在の状況等に照らせば、大阪市の右各行為は、宗教とのかかわり合いが我国の社会的、文化的条件からみて相当とされる限度を超えるものということはできず、憲法二〇条三項により禁止される宗教的活動には当たらないといわなければならない」

しかしながら、これまで詳細に論述してきた日本国憲法の政教分離規定の解釈、地蔵像の宗教性等を踏まえながら、本件事案を検討すると、原判決とは全く逆の結論が出るはずである。

なお、本件において問題にすべき「宗教」は、原判決が述べるように「仏教等特定の宗教」というよりも、寧ろ「仏教色の強い地蔵信仰そのもの」であることを念を押しておく(第三の二の項目参照)。

以下において、本件事案を具体的に検討する。

二 本件事案の検討

まず、「目的効果基準は不必要である」(第六の三)という立場からすれば、本件事案の場合、政教分離原則が内在的に制約されるケースであるかどうか、即ち、政教分離原則を緩和することによって、他の憲法上の価値原理が保護されるケースであるかどうかが問題となる。

しかしながら、本件の場合、政教分離原則を緩和することによって得られる価値は、「各町会を中心とする地域のコミュニティを促進する」という価値、ないしは、せいぜい「大阪市営住宅の建替事業の円滑」という価値であるが、これらは政教分離原則を後退させるに値する憲法上の重要な価値原理とは到底言えない。

また、大阪市の本件行為を禁止したとしても、他にその目的を達成する方法はいくらでもあるのだから、「社会生活に不合理な事態」が生ずるようなケースでも全くない。

したがって、大阪市の行為は、地蔵像という宗教施設がそこに建立あるいは移設されることを承知のうえで、市有地を無償貸与したものである以上「宗教的活動」に当たり、憲法二〇条三項に反し、違憲となる。

次に、「目的効果基準の適用事例を限定すべき」(第六の三)の立場に立っても、本件事案のように、政教分離原則に匹敵するような憲法上の価値原理との対立が生じていないケースでは、目的効果基準を適用すべきではないのであるから、先の結論と同様になる。

次に、仮に目的効果基準を適用するとしたらどうなるであろうか。項目を改めて検討する。

三 目的効果基準を適用した場合の本件事案の検討

1 「目的」の要件

原判決は、先に述べた判決の結論部分の前に、次のように判示する。

「大阪市の右各行為の目的は、もっぱら建替事業の円滑な進行と地域住民の融和の促進を目的とするそれ自体は何ら宗教的意義を帯びないものであったところ、当該町会の方で右目的を達する手段として、本件各地蔵像の建立・移設を選択したため、間接的に宗教とのかかわり合いを生ずる行為となったものと認められる」(原判決二二枚目表一~五行目、一審判決四〇枚目裏六~八行目、傍線引用者)

「大阪市がなした本件各行為である市有地の目的外使用許可及び使用転貸借することの承諾は、それ自体非宗教的行為であり、原則として憲法二〇条三項にいう『宗教的活動』とは無関係であるところ、その使用方法として地蔵像が設置されたが故に宗教とのかかわりを有することとなったものである」(原判決二二枚目裏一~六行目、傍線引用者)

しかし、これらの箇所は、大阪市の行為の宗教的意義を隠蔽するために、原判決が、故意にそれまでの認定事実を曲筆したもの、と言わざるをえない。なぜなら、原判決は、それまでの事実認定においては、次のように認定しているからである。

(一心地蔵について)

「右守る会は、従来、災害の多かったこの地域の死者の慰霊と共に地域の安全を願い、併せて地域のコミュニケーションを図るため、高殿西住宅の敷地内に地蔵像を建立したいとして、同年四月、大阪市に対し、右敷地の一部を無償で使用させてほしい旨を申し入れた」(原判決一七枚目表五行目、一審判決二八枚目裏一〇行目~二九枚目表二行目)

(満願地蔵について)

「第四町会から大阪市に対し、当時、大阪市が建設を計画していた老人憩の家等の敷地(市有地)の一部に右地蔵を移設したい旨の要望がなされ、大阪市は…これを了解する旨伝えた」(一審判決三一枚目表一~七行目)

つまり、大阪市は、各町会が地蔵像を建立または移設することを承知のうえで、市有地使用の許可・承諾を与えたわけであって、市有地の使用目的を知らないで許可・承諾を与え、その後にたまたま町会がそこに地蔵像を建立または移設したというわけでは決してないのである。

しかも、原判決の認定した事実によれば、守る会は、一心地蔵像の建立の目的として、「災害の多かったこの地域の死者の慰霊と共に地域の安全を願い、併せて地域のコミュニケーションを図るため」(一審判決二八枚目裏一一~一二行目、傍線引用者)地蔵像を建立したいと大阪市に対して申し入れたのである。故に、大阪市としては、当然、本件地蔵像がそのような超自然的な存在(第四の三)だということの認識を抱いていたはずである。

したがって、大阪市の本件各行為の目的は、主観的には「もっぱら建替事業の円滑な進行と地域住民の融和の促進」にあったとしても、それは、地蔵像という宗教施設をそこに建立または移設することを手段とすることを承知のうえで、かつ、本件地蔵像が超自然的な存在であることを認識したうえでの行為であるから、これを客観的に評価(これは最高裁判所も認めるところである)すれば、大阪市の本件各行為の目的は、宗教的意義を有していると言わなければならない。

2 「効果」の要件

Ⅰ 一般的プログラムの一環

アメリカの連邦最高裁判所の判例を検討すると、国の宗教にかかわり合いのある行為が一般的プログラム(国家の行為が、一般的基準の下で、国民ないし住民全体の福祉の達成のために実施される場合)の一環として行われたものであるか否かが、宗教に対する援助、助長、促進にならないための重要なポイントになると考えられている(瀧澤「国家と宗教の分離」三四四、三四九、四三六、四五〇頁)。

しかし、大阪市の本件各行為は一般的プログラムの一環として行われたものでないことは明らかであって、かつ、地蔵信仰を受け入れる者(受け入れない者には不快感を与える)にのみ利益を与える差別的な援助である。

Ⅱ 世俗的機能の分離可能性

アメリカ連邦最高裁判例によれば、国家のかかわり合いの対象となる事物のもつ世俗的機能が宗教的機能と分離可能なものであるかが、宗教に対する援助、助長、促進にならないための重要なポイントになると考えられている(瀧澤信彦・前掲四三七~四三八頁)。つまり、世俗的機能に限定した援助が不可能な場合には、世俗的機能と一体となった宗教的機能をも援助することになり、そのような関与は違憲となるのである。

本件の場合、仮に地蔵像ないし地蔵盆に地域住民の融和を促進するという世俗的機能があるとしても、それは地蔵像の宗教的機能と一体不可分のものであり、地蔵像の世俗的機能だけを援助するなどということはまず考えられない。

Ⅲ 世俗性の確保

アメリカ連邦最高裁判例によれば、国家のかかわり合いの対象となる事物について、仮に世俗的機能と宗教的機能が分離可能だとしても、世俗性を確保するための何らかの措置が講じられているかが、宗教に対する援助、助長、促進にならないための重要なポイントになると考えられている(瀧澤信彦・前掲三七一、三八四、四八六、四九一頁)。

この点に関し、本件において特に参考となるであろう判例を紹介する。

ユージン市は、その市有地である丘の上に、私人が高さ五〇フィートの十字架を建立することを認めたが、オレゴン州最高裁は、憲法に違反するとしてその除去を命じた(A)。連邦最高裁は、全員一致でこの判断を尊重し、審査を拒否した(B)。この直後に、同市のチャーターが改正され、この十字架が一種の戦争記念碑として同市に引き渡され、公式行事に用いられることになった。オレゴン州最高裁は、このような事情の変更を考慮して、十字架が宗教的シンボルであることを認めたが、そのような目的の十字架の設置が国教条項に違反するものではないとした(C)(瀧澤・前掲二三三~二三四頁)。

(A)、(B)の判決と(C)の判決とは結論が異なっているが、実は(B)と(C)の判決の間に、問題の十字架が世俗的な戦没者記念碑であることを確保するための次のような措置が講じられた。①市のチャーターの改正において、戦争記念物の展示という目的を例示し、問題の十字架を従軍兵士の記念碑として展示するという目的を明確にした。②十字架には宗教的祭日には点灯しないで、世俗的な休日のみ点灯し、世俗的な記念碑であることをプレートを付けて外観上も明確にした。③在郷軍人会が宗教色のない世俗的儀式で問題の十字架を市に献呈することにより、世俗的記念碑であることを、その出発点において明確にした。

つまり、問題の十字架について、このような世俗性を確保するような措置が施されたからこそ、(C)の判決で合憲という判断が下されたのである。

本件においては、各地蔵像について、このような世俗性を確保するような積極的な措置は行われていない。もっとも、原判決は、次のように判示する。

「一心地蔵像の建立時、地蔵の由来と礼拝を勧める趣旨の看板が立てられたことがあったが…間もなく右看板は大阪市の要請により撤去されたのである。更に、大阪市は、一部住民から本件各地蔵像の建立、移設について反対運動を受けたため、協議会に対し、満願地蔵像移設のための市有地の第四町会への転貸を書面で承認するに際しては、地蔵盆等の行事に際しては習俗の範囲を逸脱しないこと、地蔵の設置に関連し、特定の宗教の援助、助長、布教、宣伝、又は圧迫、干渉等となるとの批判を招かないように注意することなどの許可条件を付加したのである」(一審判決四二枚目表二~一三行目)

しかしながら、本件各地蔵像は、原判決も認めるように、礼拝の対象となっているそれ自体非常に宗教色の濃いものであり、世俗性を確保するためには、判示の事実だけでは足りず、少なくとももっと積極的に礼拝の対象物としないようにする努力を払う必要があったといえる。

Ⅳ 結論

本件においては、大阪市の行為は、一般的プログラムの一環として行われたものではなく、また、各地蔵像の世俗的機能と宗教的機能とは分離不可能であり、さらに、各地蔵像の世俗性の確保のために積極的な措置が施されてもない。したがって、大阪市の本行為は、地蔵信仰という特定の宗教を援助、助長、促進し、又は他の宗教に圧迫、干渉を加える様な効果を生ぜしめているものといえる。

なお、原判決は、被上告人が提出した森田洋司助教授の鑑定書<書証番号略>に依拠して、次のように判示する。

「本件各地蔵像に対する大阪市住民一般の宗教的評価は低く、本件各地蔵像を建立した各自治会関係者の宗教的意識も薄く、また、本件各地蔵像が一般人に与えた宗教的効果・影響も殆どないと解される」(原判決二一枚目裏九~一二行目)

「一般人の宗教的評価」等の主観的要件を判断要素とすべきではないことは前述(第六の四の3のⅢ)した。また、仮にこの要素を考慮するとしても、一般人が「宗教」と思うかどうかというような評価の仕方ではなく、一般人がその行為や援助からどういう印象を受け、どのように考えるかという点をみたうえで、それが客観的にみて宗教に対する援助、助長、促進、又は圧迫、干渉になっているか否かを確認する方法を採るべきである。また、本件各地蔵像を礼拝している人々等関係者の意識を重視すべきである(右同)。

この点、前記鑑定書は、本件各地蔵像を全く知らない人々の中から無作為に抽出した一〇〇〇人の調査結果に基づいて作成されたものであり、本件各地蔵像についての具体的な調査結果ではないことや、本件各地蔵像を礼拝している人々や盆行事を執り行った僧侶等の意識が全く反映されていないこと、さらには、わが国における客観的に「宗教」であるものを「宗教」と意識しない無自覚的信仰という特殊性を全く考慮していないものであること等からして、その信頼性は乏しいといえる。

原判決の認定した事実によれば、一心地蔵像の建立の目的は、「災害の多かったこの地域の死者の慰霊と共に地域の安全を願い、併せて地域のコミュニケーションを図るため」(一審判決二八枚目裏一一~一二行目、傍線引用者)ということであった。つまり、町会ないし守る会は、本件地蔵像が、死者の慰霊や地域の安全を守るという超自然的な力をもつものだと認識(それが「宗教」であるとは認識していなくても)していたわけである。

また、大阪市の職員措置請求にかかる監査結果について(通知)」(<書証番号略>)によれば、結論部分において「地蔵像は地域社会のお守り札的な存在になっている」(傍線引用者)と述べられている。つまり、大阪市も、本件地蔵像を守り神、守護神のような存在として認識(それが「宗教」と認識していなくても)していたわけである。

さらに、本件各地蔵像は、いずれも大阪市営住宅近くに設置されており、特に一心地蔵像は、市営住宅の入口近くの大変目立つ場所に市営住宅を背にして建立されており、市営住宅のシンボル的存在となっている。しかも、通りすがりの人々によって礼拝も捧げられており、盆には、この本件各地蔵像を中心にして、宗教専門家である僧侶を招いての行事も行われる(本訴訟提起後は中止された)。このような状況下において、これを見る一般人は、それが「宗教」を援助しているとみるかはともかく、少なくとも「市によって、地蔵像が大切にされている」という印象をもち、一般の民衆、特に幼い子供たちにとっては、知らず知らずのうちに、「お地蔵さんは、畏敬崇拝すべきもの」という信念が備わっていくであろう。このことは、反面地蔵信仰を否定する宗教にとっては、教義に反する宗教的信念が広がっていくことになり、伝道・布教の上で大きな妨げとなる。

したがって、このような大阪市や本件地蔵像関係者および一般人の宗教的評価を下に、客観的に検討するならば、大阪市の本件各行為は、いずれも地蔵信仰に対する援助、助長、促進となり、かつ、それを否定する宗教に対する圧迫、干渉になっていることは明々白々である。

3 「過度のかかわり合い」の要件

Ⅰ 便益を受ける団体の性格と目的

大阪市が便益を与えた団体は、形式的には本件各町会であるが、実質的にはもっと広く、地蔵信仰を受け入れる人々と解してよい。なぜなら、大阪市の行為によって経済的な便益を受けるのは本件各町会であるが、精神的な便益を受けるのは、地蔵信仰を受け入れる一般の人々といってよいからである。

そして、本件の各町会は、本来宗教的活動を目的とする団体ではないにせよ、本件各地蔵像が「死者の慰霊」や「地域の安全」のために超自然的な力を発揮する存在と信じ、その建立、移設、維持に密接にかかわり、また、「地蔵像建立に際し、その敷地の傍に地蔵の由来と礼拝の勧め等を記載した看板」を立てたりして(一審判決二九枚目裏一三行目~同三〇枚目表二行目)積極的に布教活動するなど、極めて宗教的色彩の強い団体といえる。

また、地蔵信仰を受け入れる人々は、その組織自体は明確でないにせよ、地蔵を信仰する点で一致するという非常に宗教的性格の強い団体である。

Ⅱ 与えられる利益・援助の性質

大阪市が本件各町会に与えた利益は、経済的側面としては、土地の継続的な無償貸与である。津地鎮祭事件では、一回きりの地鎮祭が問題となったが、本件では土地の継続的使用という利益を与え続けており、金額に換算すれば相当の利益を与えていることになる。

また、精神的側面としては、大阪市と地蔵像との結びつきに関する象徴としての役割を果たしている。即ち、大阪市が、地蔵像のために市有地を無償貸与することは、他の宗教団体には見られない特別な結びつきを生じる結果となり、社会一般に対しても、地蔵像は他の宗教とは異なる特別なものであるとの印象を生じさせ、あるいは、これを強めたり固定化させ、さらには、地蔵像に対しては誰もが畏敬崇拝の念をもつのが当然である、との考えを生じさせたりする結果となるおそれがある。そして、社会の中に、地蔵像の他の宗教に対する優越的地位が、知らず知らずのうちに形成されていくのである。特に、本件各地蔵像は、前述(第七の三の2のⅣ)したように、市営住宅のシンボル的存在であり、その影響はかなり大きいといえる。

さらに、地蔵像が他の公有地にも存在することは、原判決も認めるところであり(一審判決三六枚目表九行目、同四三枚目裏一行目)、本件事案が合憲ということになれば、その波及的効果よりして、地蔵信仰が受ける優越的地位の利益は、測り知れず大きなものとなる。

なお、参考までに、愛媛玉串料事件一審判決(松山地裁一九八九《平成一》三・一七)や岩手靖国控訴審判決(仙台高裁一九九一《平成三》・一・一〇)は、このような精神的・象徴的便益の問題を、「効果」の要件の問題として詳細に論じている。

Ⅲ 結果として生ずる国と宗教(団体)との関係

まず、行政的なかかわり合いについては、大阪市は、本件公有地の貸与後も、各町会が目的に即した使用状況をしているか否かの監視(原判決によれば、習俗の範囲を超えていないか)等を続けていく必要があることを考慮すれば、そこに過度のかかわり合いを生ずる危険がある。

次に、政治的なかかわり合いについては、大阪市の本件各行為により、住民間に対立と軋轢を生み出したことは、本件訴訟により明らかである。原判決も認めるように、「国又は地方公共団体は、信教や良心に関する事柄で、社会的な対立ないしは世論の対立を生ずるようなことは避けるべきであ」ったのである(一審判決四四枚目裏一一~一三行目)。

以上、検討してきたように、大阪市の地蔵像に対するかかわり合いは、その総体をみれば、その社会的影響は非常に大きいといえ、したがって、過度のかかわり合いを生じているものと評価しうる。

Ⅳ LRAテストの類推

大阪市の本件各行為の目的は、「各町会を中心とする地域のコミュニティを促進する」あるいは「大阪市営住宅の建替事業の円滑」ということであるが、これらの目的を達成するためには、何も憲法上の重要な価値である政教分離原則を緩和・後退させて地蔵像を建立ないし移設しなくても、他にいくらでも方法は考えられたはずである。

したがって、大阪市の本件各行為は、目的において正当であったとしても、手段において間違っていたといえる。

4 結論

大阪市の本件各行為は、目的、効果、過度のかかわり合いの各要件、さらにはLRAテストのいずれを検討しても、クリヤ−することはできず、したがって憲法二〇条三項の「宗教的活動」に該当し、違憲である。

第八 大阪市の行為は、憲法八九条に違反する

一 憲法八九条の「宗教上の組織若しくは団体」の意義

1 学説の状況

「宗教上の組織若しくは団体」の意義については、大別すると、「組織、団体」という語句にとらわれずに広く解する説(広義説)と、語句に拘泥して狭く解する説(狭義説)がある。

狭義説の例としては、「信仰についての意見の一般的な一致があり、そのような信仰を目的とする人的集合体」(百地章「政教分離と財政援助の禁止」愛媛法学会雑誌第九巻第二号四九頁以下)などがある。

しかし、これまでの支配的学説は、基本的に、これを広く解する立場をとってきた(小林孝輔「市有地における地蔵像建立」別冊ジュリスト宗教判例百選五〇)。

例えば、宮沢俊義教授は、「宗教の信仰・礼拝ないし普及を目的とする事業ないし活動を広く意味する」(「全訂日本国憲法」二三九頁)という。

また、佐藤功教授も、「宗教上の事業ないし活動を行う目的をもって組織されている団体」の意にとらえ、その「団体」とは、「厳格に制度化され、組織化されたものに限らず、緩やかな結合体をも含む」のであって、「要するに、ここにいう『組織』も『団体』も厳格に制度化されたものでなくても、何らかの宗教上の事業ないし活動(運動)を目的とする団体を指すといいうるのであり、その意味では、むしろその事業ないし活動に着目し、本条は宗教上の事業ないし活動に対して公的な財政援助を与えてはならないとするもの」(ポケット註釈憲法〔新版〕一一六三~四頁)と解している。

以上のように、「憲法上の組織若しくは団体」を事業ないし活動に着目して広く解する説は、今日の学説上も通説的見解であるといえる(注釈日本国憲法・樋口=佐藤=中村=浦部編一三五二~三頁、高見勝利「遺族会の宗教団体性」別冊ジュリスト宗教判例百選五三頁、高橋和之「政教分離と殉職自衛官の合祀」ジュリスト九一六号二九頁、小林直樹「政教分離に関する司法判断」法律時報五九巻一二号七三頁、松井茂記「箕面忠魂碑・慰霊祭控訴審判決について《中》判例評論三五一号《判例時報一二六六号》二〇頁、土屋英雄「政教分離と遺族会」ジュリスト九三二号五四頁など)。

2 学説の検討

それでは、いずれの立場が妥当であろうか。もし狭義説のように限定的にとらえるならば、本来宗教的活動を目的としない団体が行う宗教的活動に対して援助や便宜を与えても憲法八九条違反ということにはならず、財政援助という形での国家と宗教との結びつきは、かなり緩やかに認められることになってしまう(もっとも憲法二〇条三項の問題になるということであれば別であるが)。現に、狭義説を採る百地教授は、前記論文の中で、「国家と教会の分離」論を主張するなど(七〇頁)、基本的に政教分離原則を緩やかに解する立場を前提にしている。

しかしながら、日本国憲法における政教分離原則の重要性、および、その趣旨は国家と宗教との徹底的な分離にあることは前述(第二「日本国憲法の政教分離」、第三「日本国憲法の政教分離規定は『国家と宗教の分離である』)したとおりである。そして、憲法八九条は政教分離原則を財政制度の面から保障しようとしたものであるから、その趣旨も、国家と宗教の分離にあり、したがって、その解釈の力点も「組織、団体」にあるのではなく、まさしく「宗教」にある(土屋・前掲五四頁)と言える。

よって、ある集団が、「宗教上の組織若しくは団体」に当たるか否かは、その集団の目的のみによってではなく、それが行っている事業・活動の総体から判断されなければならない(高見・前掲五三頁)。

このような広義説に対しては、憲法八九条の文言からあまりにかけ離れた解釈だとの批判(大石眞・判例タイムズ六四七号四五頁)がある。しかし、「宗教」は、常にそれを信仰する者の集団の存在を前掲にしているのであるから、宗教的事業・活動への援助(たとえ個人に対するものであっても)は、それが「宗教」上のものである限り、常にその宗教を支える集団への援助となりうる性質のものである。その意味において、憲法八九条前段の規定を、「宗教的な事業ないし活動への財政援助を禁じたもの」と解する通説の立場は、規定の文言をいささかも逸脱するものではないといえる。

以上により、広義説が妥当であることが明らかになった。

3 原判決の立場

原判決は、「宗教上の組織若しくは団体」の意義につき、明確にはしていない。ただし、原判決は、次のような理由で、本件各町会が「宗教上の組織若しくは団体」ではないことを否定している。

「本件各町会の性格、目的は、地域住民で構成された組織体として、地域社会の福祉の増進と発展等を図るというもので、本件町会等が信仰についての一致するものによって組織されたものではなく、まして、地蔵信仰等仏教信仰を目的とする団体でもないし、本件町会等が本件各地蔵像を維持、運営することは宗教的色彩の稀薄な伝統的習俗的行為であって、特定の宗教を布教、宣伝する宗教的活動とは認められない」(一審判決四四枚目表四~一一行目)

この判示部分からは、原判決は、狭義説にたって、本件各町会が「宗教上の組織若しくは団体」に当たらないと判断したのか、広義説にたっても、本件各町会は宗教的活動をしていないから「宗教上の組織若しくは団体」に当たらないと解したのかは不明である。

しかし、原判決が、「本件町会等が本件各地蔵像を維持、運営することは宗教的色彩の稀薄な伝統的習俗的行為であって、特定の宗教を布教、宣伝する宗教的活動とは認められない」と判示した部分は、前に詳述した(第四「地蔵信仰の『宗教』性は明白である」、第五「『宗教』と『習俗』は相反する概念ではない」、第七の三の3のⅠ「便益を受ける団体の性格と目的」)ように、本件各町会の活動の宗教性は明白であるから、原判決には、この点に関する判断の誤認があるといえる。

4 結論

広義説によれば、本件各町会は憲法八九条の「宗教上の組織若しくは団体」に該当し、大阪市が本件地蔵像の建立または移設や維持、運営のために、本件各町会に対し、市有地の無償使用を許可、承諾した行為は、憲法八九条に反し違憲となる。

仮に、狭義説に立ったとしても、大阪市の本件各行為が、政教分離原則の財政制度上の現れである憲法八九条の趣旨に反することは明らかである。したがって、いずれにしても、大阪市の本件各行為は、憲法八九条違反の問題として問われなければならない。そして、第七「大阪市の行為は、憲法二〇条三項に違反する」で詳述したように、大阪市の本件各行為は地蔵信仰に対する援助となることは明らかであるから、憲法八九条の趣旨に反することとなる。

第九 <省略>

第二点 <省略>

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